その場の共通語が英語であれば、日本人同士でも英語を話す
日本人同士なのに、英語を話さざるを得ない状況があります。
たとえば、国際会議や学会などがそうです。
全体の進行が英語を共通語として行われている場合、
日本人の発表者に対して、日本人の聴衆が質問する場合も、当然英語が使われます。
英語を使うことによって、その質疑応答が会場にシェアされるわけですから、
日本語でやりとりなどしたら、大ヒンシュクものでしょう。
前、某アメリカの大学のクラスに飛び入りで参加した時、偶然ひとりだけ日本人の学生がいました。
ディスカッションに入る前に
「私、日本からの学生です」とその学生がほんのひとこと、小声の日本語で私に自己紹介しました。
私も「よろしくね」と日本語で返事をしたのですが、まわりのえっ?といった表情に
しみじみ、英語が共通語
と思ったのでした。
私自身も、ファカルティが数名集まった会合で、偶然日本人の先生に会い、
「ドームに泊っておられるのですか?」
などと日本語をぽろっとしゃべり、
議長格の先生から睨まれたことがあります。
英語ネイティブの人々は、非英語ネイティブの人々がいる場合、分かりやすく話す気遣いが大切です。
もちろん、会場には英語を母国語とする人々もたくさんいるのですが、この人々も、通常ネイティブ同士で崩し気味に話すスタイルを変えて、外国人向けに分かりやすく話す必要があります。
英語ネイティブも非ネイティブもコミュニケーションを円滑にするということに主眼をおいて、やりとりするのが、国際学会などを成功させる秘訣のひとつだと思うのです。
アフターファイブのパーティなどで
日本人同士なのに、あまり流暢でない英語を話さざるを得ない時は、
前述したように、ちょっと気恥ずかしいというか、疲れるというか、そういうこなれない感じをもちがちですが、国際的なパーティに慣れている人々は、このへんが実に行き届いています。
英語のパーティかあ。気が重い。パスしようかなと思うかもしれませんが、
場数が大事ですから、チャンスがあれば臆せず参加するといいと思います。
私の体験としては、アメリカの大学院に通っていた頃、時々日本人だけのパーティがありました。
いつも英語で疲れているので、たまには日本人だけでリラックスしようということです。
しかし、場所はアメリカですから、誰かのボーイフレンド、ガールフレンド、あるいは何かの縁があるアメリカ人が当然、何人か参加します。
そこで、ほとんどの参加者は日本人だけれど、英語で話すという状況が出現しました。
こういうケースでは、相手もすこし日本語を話すことが多いので、お互い英語の中に日本語を混ぜたりして、楽しかったものです。
授業などで、英語だけでいきましょうというケース
参加者は全員日本人だけれども、そもそも英語を使う練習をするのが目的のクラスで、英語で話しましょうというケースもあります。
これが、英語のクラス、つまり語学のクラスなら、絶対英語ね、日本語禁止ということでわりにスムーズに進むのではないでしょうか。
それに対して、たとえば統計学のクラスで、その授業を英語で学ぶといったケースがなかなかの難問です。
たしかに何かを英語で学ぶということは、大切です。
つまり、語学としての英語学習が目的ではなく、英語を使って他の学問なり技術なりを学ぶ練習ですね。
これはむずかしい。
まず、上記の例で言えば、統計学を学ぶことが基本的な目的です。
そして、英語を使って学ぶということが追加されます。
しかし、統計学はなかなかむずかしい学問ですから、
そこに知らない英単語や聞き取れない英語表現が重なると、
理解できないという状況も生まれるかもしれません。
ちょうどアメリカの大学や大学院に留学して、初めのうちはまったく講義が分からないというのと同じですね。
そこで、日本語でフォローする必要が出てくる
「ここは非常に大事なところですから、日本語で重ねて説明しますよ」
という状況が出てきます。
その割合をどの程度にするかは、聞き手側の英語能力にかかっていますし、教える側は全員が分かるまでフォローするのかどうかにもよります。
英語オンリーでいきたかったのに、日本語をしゃべる人がいて・・
人によっては:
自分は英語で通したかったのに、日本語で質問する人がいて、なんだか気恥ずかしくて自分も結局日本語で質問しました。
という、感想を残すケースがあります。
一方、多少日本語を使う人がいても、自分はこの授業中は英語一本でいくんだという固い決意で臨む人もいます。
他人に影響されず、後者の人のようなスタンスで臨んでくれると助かるのですが。
もちろん、その旨は再々喚起しますが、やはり日本人同士で英語で話すというのは結構抵抗があるのかもしれません。
しかし練習しなければ、上達しないのも事実なので、場数を踏む努力は必要です。