アメリカは20世紀半ば過ぎまで人種分離学校制度を採っている地域がありました
20世紀半ばっていつ?
1954年のブラウン判決で、人種分離学校は憲法に違反しているという判断が出されました。
しかし、その後もこの件については、長い道のりを歩むことになります。
まず、日本と大きく状況の異なる点は:
アメリカの公立学校は、連邦ではなく各州の教育行政にゆだねられており、またその運営は、管轄の学校区の規定によるところが大きくなっています。
ですから、ある公立学校を取り上げて、それをもって全米の公立学校の状態を推測することは、適切でないと言えます。
かつ資金の過半はその地域の固定資産税から捻出されている場合が多く、
固定資産税のあまり入らない地域と、豊富な地域では予算に差が出てきます。
つまり、土地等の資産価格が高い地域の予算が潤沢なのに対し、
資産価値の低い地域では苦しい運営になりがちということです。
こうした状況から、アメリカの公立学校では
学校区によって教育方針やクオリティに違いが出現しやすく、
学齢期の子どもを持つ家族は、
公立学校入学を念頭に置く場合(私立学校選択という選択肢もあります)、
学校区選びつまりどこに住むかは重要な課題です。
1960年、ルビー・ブリッジズさんの白人学校への入学
この件は、あまりにも有名なので、日本でもご存じの方は多いと思います。
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1954年生まれのRuby Bridges さんは、1960年に小学校に入学する年になりました。
彼女は、ルイジアナ州ニューオリンズの白人小学校(the all -whites elementary school)
の入学審査に合格し、その学校への入学意思を示したことから大騒ぎが勃発します。
上記書籍の表紙の写真は、本当に本当に有名なもので、
たぶんアメリカ人なら誰でも知っているのではないでしょうか。
また、ノーマン・ロックウェル(Norman Rockwell)が、彼女のこの日を題材にした
絵 the problem We All Live With を描いています。
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彼女は護衛のため政府から派遣されたガードに守られながら登校し、
群衆は物を投げたり、騒いだりして妨害しました。
白人の生徒は登校せず、また彼女を教えることを拒んだ教師がほとんどで、
ただひとりの先生が教鞭をとったということです。
毒を盛るといった脅迫も届き、ルビーさんは家から持ってきたランチだけを食べていたそうです。
お棺に黒人のお人形を入れたものを示して、いやがらせをする人もいたと言います。
これが、わずか60年前のことなのです。
実は、ルビーさんと私は同い年です。
こうした状況から60年を経て今日に至っていますが、その評価は
オバマ大統領という、黒人と白人の両方のraceを引き継いだ人が大統領として8年間執務しました。
また、現在はハリス副大統領(Kamala Devi Harris)がいます。
お父さんがジャマイカ出身の黒人ですね。
こうした進歩と思われる動きがあるとともに、
白人警官によって黒人の生命が奪われるという事件が発生していることは、周知のとおりです。
現在も半数以上の子供たちは、自分と同じ人種の比率が70%以上の学校に通っているというレポートもありました
私は、こども時代に人種を超えた理解やbondが形成されることが、とても大事だと思っています。
差別は、頭にこびりついた偏見とステレオタイプから発生することが多いと思うからです。